不改其楽

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「良いひと」

良いひと」すぎる人がいます。

確かに強引なひとや格好をつけていたり、お喋りが上手い人、お洒落な人などは人を惹き付ける魅力があるような気もします。

「良いひと」は、人知れず、淋しい気持ちを抱くこともあります。

それでも「良いひと」であり続けられる人は、きっと強くしなやかな感情の持ち主なのでしょう。


人生に於いては、思い通りになる方が稀有なことです。



そんな中で、「良いひと」であり続けられた人は、それだけは自分の思い通りになっています。

即ち、自分自身が「感情の奴隷」ではなく、「感情の主人」たりえた人は、本当の意味で、人生の勝者と言えるのではないでしょうか。

それくらい心身ともに自分自身を完璧にコントロールすることは難しいものです。
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花と動物を撮りに行く



先ずは高幡不動に行き、紫陽花を撮ろうということで、行ってみると、紫陽花も雨が少ないため、少し弱り気味。私も暑さで弱り気味。

それでもうろうろしながら写真を撮りまくりました。

むやみに歩き回ったため、暑さで消耗。

既にバテ気味になりながら、昼食後は多摩動物園へ移動。

前にブログでも書いたけど、私は動物好きで、井の頭動物園の年間パスポートを持っているくらいです。

多摩動物公園も会社を休んでまで行っているので、今日が三度目です。

井の頭動物園とは比べ物にならない広さと動物の種類の豊富さで、見て回るだけでも楽しい。

ただ少し暑すぎるためか、動物たちにダラケた雰囲気が漂っています。

それにしても写真というのは奥が深いものだと毎回、写真を撮りに行く度に思い知らされます。

学生時代、私は絵を描くのが大好きで、写真はシャッターを押すだけで味気無いものだという先入観を抱いていました。

ところが、見た目通りに写すということが思っていた以上に難しいものです。

絵の場合は、例えば、目障りな電線などは描き込まなければ済む話ですが、写真では写り込むことを避けるために構図を工夫するか、撮り方によって、見せたくない部分をボケさせるか、もしくは画像を修正するしかありません。

色合いも目で見た感動を絵ならそのまま表現することも出来ますが、写真は見た感動がなかなかその通りには表現出来ません。

オランウータンも思い通りに動いてくれないし、フラミンゴは首が長すぎて、グニャグニャ動くもんだから、構図がうまく決まりません…。

チーターもやたらと落ち着きがないので、うまく撮れない~

もう少し落ち着いてくれよ~

多摩動物公園は蝶もたくさんいて、それを撮るのも楽しみなんですが、蝶もじっとしてくれません。

それに加えて、羽根に傷の少ない蝶を撮るのが、これまた至難の業なんです。

サイやゾウみたいな動物が普通に地球上に生きている場所があるというのは、それだけで驚きです。

もし、渋谷や新宿を歩いていたら、相当ビビります。

それにしても、動植物を見ていると、いつも新しい発見があります。


シマウマを見ていると、鬣(たてがみ)まで綺麗に白髪と黒髪に分かれています。

渋谷のお洒落な子たちでもこんなに綺麗にメッシュが入っている子はいないと思います。

自然が生み出すものは何時も神秘的です。

その後、疲れた体を多摩テックの温泉で癒して、焼き肉食べて、大満足の休日でした!


世界の山ちゃんへ行く

世界のやまちゃんという手羽先のお店に行ってきました。「世界の」って・・・

また大きく出まくりのお店で手羽先をたらふく頂きました。本当は、手羽先の写真を撮ればよかったのですが、ブンブンさんに負けず劣らず、食い散らかしてしまい、残骸の写真をやむを得ず撮らせていただきました。

計23羽が私たち4名のお腹へ旅立っていきました。合掌・・・

「となりの豚トロ」というブタ肉の料理も頂きましたが、それは・・・

となりのとんとろ・・・となりのと*とろ・・・となりのトトロ

ばんざ~い!
ばんざ~い!!
ばんざ~い!!!
ジブリに訴えられるんちゃう・・・

頑張っているすべての人へ(3)


私は社会人になって最初の頃、しばしば上司からこう言われていました。



まだ生意気だった私は、その度に、「説教くさいなぁ~」と感じていました。

今、思えば、屁理屈で恥ずかしい限りなのですが、当時の私は真面目にこんな風に思ってしまっていました。



「『若い時に勉強しろ』って言う人は、大抵は若い頃、勉強をしていなくて、しかも今も大して勉強していないじゃないか。」と。


確かに、年をとっても勉強をし続けている人はそんなことは言いません。



不勉強の言い訳に年齢を使っている側面はあります。



現在、いろいろな勉強をしながら、「この勉強に意味があるのか。」「社会に出た時に今の勉強が何の役に立つのか。」等と悩んでいる人も多いと思います。



でも、ひとつだけ確実に言えることは、若い時に真剣に勉強をしたことのない人は、大人になって、本格的に勉強をするのは、大変、骨が折れるということです(出来ない訳では決してありません。)。



それはウェイトトレーニングにも通ずるものがあります。



私は若い頃に、アメリカでウェイトトレーニングを学んできた友人に、基礎的な筋肉の使い方を教わっているので、苦痛を感じることはありませんが、いきなりバーベルを担げと言われても担げるものではありません。



若いうちに勉強をした方がいいと言うのは、若い時の方が記憶力も体力もあるからということが、主たる理由だと思いがちです。


確かにそれは真実ですが、それよりも、もっと大切なことは勉強の習慣を身に付け、勉強の仕方を学ぶということです。


「学ぶことが楽しいということを学ぶ」ということです。


インターネットが普及して、表面的な知識を得て、ついつい私もわかったようなつもりになってしまいがちです。



また、「そういうことはネットに書かれているだろうから覚える必要はない」と、つい安易に流されがちです。



しかし、学ぶということは、もっと奥が深く、終わりがないような気がしています。



別に机にかじりつくことだけが勉強ではありません。



でも、学ぶ気持ちを身に付けることが出来れば、日々の生活も楽しくなるような、そんな気がします。

フランスパンな気分


写真でフランスパンの質感がうまく出ているか分かりませんが、この前の食パンと違って、カリカリッっとしています。


でもひとつ欠点が…

今のホームベーカリーは改良されてるかも知れないけど、焼いたパンがやたらと取り出しにくいんです。



これは何とかなんないのか、やたらくっついて、「おりゃ~、とぉりゃ~」って朝から体力消耗、血圧上昇です。

とほほぉ~

芙葉亭にて



井之頭公園沿いの瀟洒な洋館のフランス料理のレストランです。


敷居も思っていたより高くなくて、カジュアルフレンチといった趣き。



まずはソムリエが飲み物を勧めに来てくれましたが、私たち夫婦は、アルコールは飲めないので、お水を頼みました。


思わず夫婦揃って「すみません。」と謝ってしまいました。

別に謝る必要もないんですが…

前菜やアスパラガスのクリームスープを食べているうちに既に軽く満腹感。。。


ま、まずい…
メインディッシュまで、まだ辿り着いてないのに~




メインディッシュはお肉とお魚から選べたので、私は子羊のロースト香草焼きでガーリックをなんちゃらかんちゃらしていますと話していた方を、妻はイサキと鮭のなんちゃらかんちゃらで、なんちゃらかんちゃらを添えておりますというのをいただきました。

とても美味しくて、大満足。



「後はコーヒーくらいで十分だな、こりゃ。」と思っていたら、デザートは、お好みのものを3~4種類選べると言うのでイチゴのレアチーズとティラミスとあとチョコレートのケーキ(お洒落な名前は忘れました…)を。



多すぎるっつうの!!!



最後は根性で美味しく頂きました。ふぅ~


メルスィ~ボゥクゥ!

良い意味で・・・

今朝、四国で私が働いていたときに、一緒の職場にいた人と3年ぶりくらいに、朝の通勤のときに電車で偶然、出会いました。

これだけたくさんの人が乗り降りする東京の電車で会うというのは、すごい確率だと驚いていたんですが、彼が「おおっ~、ゆあパンダ君、痩せたんちゃうかぁ。良い意味で、おじさんになったんやのぉ~(しみじみ)」

ん?良い意味で・・・
良い意味で・・・
良い意味で!!(以下、繰り返し)みたいな・・・
コエンザイムQ10とα-リポ酸を買いに薬局に走りました(ウソですが)

上腕三頭筋

上腕二頭筋(力こぶ)の裏側の筋肉になります。



二頭筋と違って体の裏側の筋肉はなかなか発達しにくいため、写真でも分かりにくいかも…



えっ、その筋肉は鍛えてどんな時に使うのかって?



…え~っと、パソコンのマウスを手前に引く時に、ほんのちょっと使います…



別に日常生活を送るのにダンベルで鍛える必要はあまりありません。

焼きたてのパンを食す。

今朝は焼きたての食パンを食べました。

私はホームベーカリーで焼いたパンを初めて食べました。



さすが焼きたては外はカリッと、中はもっちりしています。


ホームベーカリー万歳!



私の実家ではお正月はお餅をつくのですが、餅つき機も初めて使った時は「遂に日本人は餅つきから解放された。」と思ったものです
(冗談ですが…)。



ホームベーカリーもそれに匹敵します。


よく「業務用は値段も高いし、ばかでかいから」という風に考える人がいますが、業務用はなかなか侮れません。


業務用が家庭用に転用される例は枚挙にいとまがありません。



持ち運べないような無線機も今では携帯電話になり、クレーンで持ち上げていたような映画のカメラも家庭用に転用して小型でも相当きれいに撮れたりします。


コンピュータも今では鞄に入れて持ち運ぶのも容易になりました。


つい数年前でも、「ノートパソコンってサイズがノートなだけで重さはデスクトップ並みかよっ!」ってくらい重かったんですから。


音楽も今ではポケットに入れて持ち歩くのが当たり前になりました。



因みにホームベーカリーは借りもので、やってみて、おいしく出来たら買ってもいいかなと考えていたので、購入を検討することに相なりました。



焼きたてのパンを家庭で食べるというのは、かなり贅沢な気分です。

優しいひとを見抜く法

優しい人が良いと言っても、実際にはなかなかちょっと付き合ってみたくらいでは分かりません。

ところが自転車に一緒に乗って出かけてみると、優しい性格かどうかが分かります。

優しい人は必ず相手のペースを考えながら走り、信号や一時停止にも注意を払います。


自動車の場合には必ずしも当てはまらないような気がします。

なぜなら、自動車の場合には、同じ車で移動をしているため、一時停止や信号もある程度ドライバーがコントロールできるからです。

別に自転車のように待ってあげたり、相手のペースに合わせる必要がありません。



それでもアクセルワークやブレーキの踏み方には性格が十分表れるでしょう。


ただ一方では、まだ若い子たちは、格好をつけたい気持ちも強いので、どうしても多少荒っぽい運転をしてしまうかも知れません。


それは優しさとは別の感情です。

でも私が今まで付き合った友人たちで優しい性格のひとは必ず自転車に一緒に乗ると分かります。

「優しいひとが良い」
「優しいひとかどうか知りたい」と思っているひとは、一度ぜひお試しあれ。

今夜の夕食

今夜は、チキンのとろとろ煮、大根のサラダ、南瓜の煮付けなど。


この「チキンのとろとろ煮」って名前を聞いたことある人、ずばりあなたは大戸屋ずきでしょう。


大戸屋にある「チキンのとろとろ煮定食」を私が大好物で、再現してもらった。

非常に近い味だったからびっくり!


なかなかやります。

南瓜も冬の野菜だと私は思っていたんだけど、ニュージーランド南瓜だそうで二度びっくり。


南半球の恵みに感謝。


(追記)
南瓜は夏の野菜だそうです。
私の勘違いでした。申し訳ありません。
だとすると、ニュージーランドって・・・・

怯える社会

最近、いろいろな面で世の中が神経質になってきているように感じています。

昔は知りもしなかった危険因子が至る所に潜んでいて、私たちの生活を絶えず脅かし続けています。

例えば、知らされるまでは、自分の血がどろどろかどうかなんて、気にも止めなかった人が、ある時、健康診断で、「あなたは血がどろどろですよ」などと言われるとします。

なるほど確かに最近、体がダルいような気がする。運動不足だし、たばこも血をどろどろにさせているに相違ない。


そう思った彼は、その日から禁煙をして、そば茶を飲み、トマトを食べてみる。


そういう彼は精神的には既に病人だと私は思うのです。


科学や医学が発達するにつれて、人は、ますます臆病になっているように思います。


私は「程々」という言葉は余り好きではありません。


ほどほどに遊び、ほどほどに働くというのだけでは、物事の本質は捉えられないように思います。


怯えた生き方と充実した生き方は、イコールではないということです。


多分、宇宙飛行士たちは体に良いから激しい訓練に耐えて、厳しい宇宙に飛び出している訳ではないでしょう。


彼等のような生き方に生きるという問題の答えがあるように思います。


スペースシャトルの再開が待ち遠しいです。

価値観について

人は自分の価値観で物事を見ています。

もっと言うなら、自分の価値観でしか、物事を見ることが出来ないと言っても過言ではありません。

だから、コツコツする人はさっと仕事を済ませて遊んでいる人を見ると苦々しく思い、反対にテキパキ仕事をする人はちんたら働く人を見ると苛立ちを隠し切れません。

しかし、そもそもピータードラッカーのいう「知識労働者」は時間に縛られるべきではないと私は思います。工場のラインで働くのとは異なり、24時間365日働いているとも言えるのが知識労働者なのではないでしょうか?

何かを生み出すためには、人は時間から自由でなければなりません。

近代市民社会の成立とともに、全ての労働者に権利として時間に対して対価を与えることを是と考え、日本もその例にもれません。

しかしながら、能力や性格の異なる人たちが働く上で、それを前提として認める必要があります。

のんきに働く人もガリガリ働く人もお互いを尊重しなければ、組織はギクシャクしてしまいます。

そのためにも、本当は残業代についても法的な規制はあるものの、私は個人的には知識労働者にそれを一律に当てはめることは適当ではないように感じています。


スキルやポテンシャルが優れているだけではなく、一般的にリーダーシップを発揮している人は、好奇心が旺盛なようです。

決められた仕事をキチンと出来るだけでは知識労働者足りえないのだと思います。

私たちは知識労働者足りえているでしょうか…

むしろ工場労働者の知識労働者化が進む一方で、知識労働者の後退を感じているのは私だけでしょうか。

続・頑張っているすべての人へ

端から見て頑張っているように見えたかどうかは分かりません。

でも精神的にひどく疲れて、何もかもを投げ捨ててしまいたいという気持になってしまったことがかつて一度あります。

そうなってしまうと、明けても暮れてもマイナスにしか考えられなくなり、全てが疎ましく感じるようになりました。

今思えば、鬱だったのかも知れません。

私自身が精神的にも肉体的にもタフだと周りもそして自分自身も信じて疑わなかったから、自分でどうしてよいのか分からないままに、更に頑張り続けることで、乗り切ろうとしてしまいました。

ますます夜中まで働いて、ますます疲れきっていながらも、眠ることもままならずに、朝を迎える…

結果的には、私は環境の変化によって、いつしか自然に癒されていましたがそのまま働いていたらどうだったかは私にも分かりません。


昨日は頑張ることが恥ずかしいことではないというような気持ちを素直に書きましたが、頑張らないことも恥ずかしいことではないと私は思います。

そして、自分が思う以上に脆い部分があり、危うい部分を認める勇気も必要だと今になって思います。

(その当時はそういう事を省みる事も出来ませんでした。)

そういえば、昨年、ちょっと入院しましたが、物心ついてから、ほとんどお腹が痛くなったことのなかった私は、何処が痛いのか全く分かりませんでした。

それくらい自分のことは知らないものです。

頑張っているすべての人へ

私たちの会社に圧倒的な優位性があるのではなく、何時脅かされてもおかしくない状況にあることは認識しておいた方が良いと思います。

デジタル時代は、模倣の時代でもあります。
ひと昔前には真似することが困難だった企業の強みも、極端に言えば、クリックすれば、コピー可能な時代になっているということです。


そういう危機感が企業を育て、人を育てるのかも知れません。

学生時代にある友人からこんなことを言われたことがあります。

「誰よりも勉強をして受かるのも悪くないじゃないか。」と。

要領良くやって何処かの大学に入れればいいやくらいに考えていた私はこの言葉に大きな影響を受けました。

スピードスケートの清水宏保選手は練習の度に気絶するくらい練習するそうです。

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